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太平洋に浮かぶフィリピン版軍艦島「フォート・ドラム」

フィリピン・マニラ湾の入り口に軍艦の形をした島がある。コンクリートで作られたその外観は、今にも動き出しそうである。「フォート・ドラム」として知られているこの島は別名「コンクリートの軍艦」とも呼ばれている。


元々は、エル・フレイル島という名の普通の岩質の島であったが、マニラ防衛のための要塞としてアメリカ軍によって1909から1914年の間にコンクリートと厚い鉄板でコーティングされたのだ。

 

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1898年米西戦争直後、アメリカ合衆国は海外領土を保護するため要塞を補強する必要があった。そのうちの最も重要な拠点がフィリピンのマニラだったのだ。
もともとはマニラ湾からの貿易ネットワークを監視するだけが目的だったのだが、この地域の防衛を強化する目的が重なり、このような物々しい要塞が建築された。

この要塞には14インチ砲を乗せた2つの回転砲台を置くだけでなくサーチライト、火の見やぐら、そして対空部隊を常駐し、さながら本物の軍艦のようであった。

太平洋戦争開戦後、フォート・ドラムは米軍とフィリピンを援護するための砦の一つとして旧日本軍に抵抗していたが、1942年5月6日、援護していたコレヒドール島陥落とともに降伏した。

1945年4月、今度はマニラを再制圧するため米軍による攻撃の手が、フォート・ドラムを襲った。空と海からの砲撃の結果、米兵はフォート・ドラム上陸に成功した結果、日本兵は砦内に籠城することとなった。
そこで、米軍は砦内部に突入しようとはせずに、通気口内に燃料を注ぎ、放火したのだ。火災は数日間にも渡り、米兵が内部に突入したときには65人の日本兵の焼死体があったといわれている。

フォート・ドラムを含むマニラ湾周辺の要塞が制圧された結果、マニラ湾での日本軍の抵抗は完全に終わりをつげたのだった。フォート・ドラムは、戦争が終わった今もなお、動かなくなった回転砲台と14インチ砲とともに、マニラ湾の入り口に廃船のようにたたずんでいるのである。

 

 

要塞となる前のエル・フレイル島

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当時のフォート・ドラム

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現在のフォート・ドラム

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CGで再現されたフォート・ドラム

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via: Fort Drum: The Concrete Battleship on El Fraile Island | Amusing Planet